フィリピンパブ マニラ

2013年10月12日

忘れ去られた『ルビーモレノ』

まだ私が鼻を垂らして暴走族をしていた頃(嘘嘘)ガハハハ・・・
彼女はジャパゆきとして日本に出稼ぎにやってきてました
彼女がジャパゆきを引退し芸能界で活躍始めた頃
私はフィリピン人芸能人を地方のフィリピンパブに招聘するプロモーターとして活躍しておりました
その当時はこんな楽しいい生活が一生続くのだろうと思っていましたが
でもそうはいきません業界の現状は、皆お山の大将の集まり
当局と業界の温度差はかけ離れており、人身売買の温床とまで言われるしまつ
もう死語になった『ジャパユキさん』ほとんどの方はご存知ないでしょうが
その名を世に知らしめたのが当時は可愛かった『ルビーモレノ』
大変な人生を送ったことと思います、ご存知ない方に少しご紹介いたします。

フィリピンパブのホステスだった過去を書き立てたため、記者会見を開き「ジャパゆきさん」だった事実と、脳性麻痺による重い障害を持つ子の母である事を告白した(当初は「観光関連の仕事で来日した際にスカウトされた」「結婚歴なし」と経歴を詐称していた)。その後、仕事を突然キャンセルする「ドタキャン女優」「借金女優」「枕営業女優」との評判や噂に加え、日本映画界の不況により満足な仕事が得られることが難しくなっていった。ヘアヌード写真集も出版するが一時的な話題にしかならず発行数も予想を大きく下回る結果。モレノのわがままな言動はそのような背景からなるいら立ちや不安から増長していったため、さらに悪循環を引き起こしていった。しかし、身についてしまったぜいたくや見栄を改めることはできず、クラブの雇われママなどを兼業をして収入を得ていた。1995年秋に、数々の素行やトラブルを理由に稲川素子事務所を解雇される。その後、フィリピンに帰国して女優デビューするが現地の芸能界では無名であることに加え、レベルの格差を埋めることができず失敗。1998年、同事務所と再契約し日本の芸能界に復帰した。2000年、日本人商社マンと4度目の結婚をする。

その後失踪騒動で芸能界から自然消滅していたが2010年1月19日に約8年振りに日本テレビ『魔女たちの22時』にテレビ出演。障害を持つ娘が発作を起こすたびに付き添わなければならない(付き添いたい)ために「ドタキャン」していたこと。また、これ以上「ドタキャン」を続けると事務所に迷惑がかかると考えたが、どのように伝えたらよいか分からなく失踪しまったこと。介護費用のために目立たない職業に就いていたことなどを告白。近年、娘と両親の相次ぐ死や、妹の尽力で稲川素子事務所に復帰した旨を語った。

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posted by フィリピンパブの専務ブログ at 11:03| Comment(0) | 国際問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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